出かける前に窓から街を見下ろす。
単純に物だけではない。生きている・・・・。
僕の目には『人の色』が見える。
もっと言えば、『心の色』―――――

そんなわけで、今日も街は鮮やかだ。
"十人十色"の意味を本当に知っているのは僕だけだ、と思ったりする。
あっちから歩いてくるおじいさんは青だ。落ち着いている様子。
横から来る自転車の高校生は緑。なにか楽しみなことでもあるのだろうか。
当然、色だけでここまで心情を理解できるようになるには時間がかかった。
だが、方法はいたって簡単だった。鏡を見るだけだから。
何がどうなっているかは知らない。
僕に備わってしまった能力なのか。
それとも、色の少ない生活を続けるうちに身についた観察力の果てなのか。
いずれにしろ、きっと特別な能力ではない。 だと思う。
普通の生活で感じとれる他人の感情が、
色という単純化されたフォルムで見えているだけなのだろう・・・
だけれど、絶え間ない時間の流れは、その理由を考える少しのすき間さえ空けてはくれなかった。

全ての物に色があるのと同じように、人も色が無いことはない。
だが、"人の色"はすべて有彩色である。
白や黒・灰色の人間がいるとしたら、それは既に感情の無い抜け殻となった"死骸"だろう。
そういう色を見たくなくて、僕は死体なんかからはなるべく目をそむける・・・
まぁ、そうそうそんな場面に出くわすことは無いが。
もちろん、限りなく無色に近い色の人もいる。
そういう時に限って、目は、それを追ってしまう。
一色しか見えないという性質の中であるが、物を見るよりはむしろ人を見ているときの方が多く感じてしまう。
それに、当然見たくない色を見てしまうこともある。
禍々しい程の赤色を放っていた男が、近所の駅で通り魔事件の犯人となった。
その予言とも言える能力に悪寒が走ったのも、つい先月の話であった。

また鳥肌が立ってしまった、と思えばもう会社についていた。
自動ドアを通る寸前に、ケータイの着信がなった。
通行人が一瞬目を向けて、また過ぎ去る。青。
来たメールを見ると、久しぶりに彩絵<アヤメ>からのメールだった。